記録。ケラトプスユウタ。

2022年、岐阜県瑞浪市釜戸町という場所でパレオパラドキシア Paleoparadoxia の化石が発見されました。そして2024年、造形会社アップ・アート製の復元骨格が初公開となりました。
それと同時に、日本各地で発見されたパレオパラドキシアの全身骨格(津山標本、梁川標本、大野原標本)が瑞浪市中央公民館にアッセンブル!
それが今回紹介する『みずなみ化石フェスタ』です。2024年10月19日から27日まで開催されていました。
僕が侵入したのは最終日の10月27日です。実は前回の博物館もそうだったのですが、瑞浪出身の上司にお誘い頂き、連れて行って頂いたんです。

写真が青みがかってるのはアクリルの関係…だと思います。
ミノとは美濃(現在の岐阜)のことですね。
現生のオウムガイは熱帯の海にすんでいます。では中新世の日本は熱帯だったのかというとそうではなく、現在の日本の海岸でもオウムガイの殻が見つかります。死後にオウムガイの殼が黒潮にのって運ばれてきて日本に流れつくのだそう。これと同じことが中新世にもあったらしく、それがアツリアというわけです。とんだフェイント化石ですよ。
アツリアは瑞浪をはじめ、西南日本の各地から見つかっていて、その頃にも今と同じように、南の海から暖流が流れてきていたことを教えてくれます。

ヒトデ Asteroidea のなかま


奥は現生、手前が化石。
カイロウドウケツの化石は瑞浪層群最上部層の生俵(おいだわら)層から見つかるそうですが、珍しいらしいです。
我々にとって身近な、石灰質の殻をもつ海綿は浅瀬に生息してますが、カイロウドウケツはいわゆるガラス海綿(六放海綿類)で、現生種は100m以深の海に生息していることが知られています。
カイロウドウケツの化石に取り込まれたドウケツエビの化石が見つかったら面白いですね。



瑞浪のコハクは1970年代前半、中央自動車道の工事の際に産出したことで知られるそうです。


前肢要素の全てと骨盤の一部、後肢要素の一部を除いて完全な、関節した全身骨格のレプリカ。

ここからよく保存された下顎が見えます。

先述の瑞浪釜戸標本の復元骨格。泳いでいる姿で復元されています。頑丈そうな手足はまるでオールのようです。

福島県伊達市のパレオパラドキシア梁川標本。

埼玉県秩父市のパレオパラドキシア大野原標本。埼玉県立自然の博物館に展示されているもののうちの一つだと思います。

岡山県のパレオパラドキシア津山標本
そして会場の大講堂では「パレオパラドキシア座談会」が開かれました。
登壇者は大路樹生博士を司会に、岡崎美彦博士、甲能直樹博士、北川博道博士、吉田英一博士、松井久美子博士、川谷文子博士、安藤佑介博士と、日本のパレオパラドキシア研究者が一堂に集まっている状態で、内容はかなり濃いものでした。
まず話題になったのは、日本におけるパレオパラドキシア研究の歴史です。日本で最初に知られるようになったのは1923年、佐渡の相川で見つかった歯の化石だったそうです。これが東京大学に送られ、当時はまだ区別が難しかったこともあって、最初はデスモスチルス Desmostylus として報告されたらしいです。ほぼ正解みたいに思っちゃいますけどね。
その後1939年に徳永重康先生が研究し、コルンワリウス・タバタイ Cornwallius tabatai という種名で新種記載され、さらに研究が進む中で現在のパレオパラドキシア属に整理されていったそうです。
1950年には壱岐市泉町で東松一氏が骨格を発見し、1966年に鹿間時夫先生がそれをパレオパラドキシア・タバタイ Paleoparadoxia tabatai のネオタイプに指定したとのこと。
やはり日本の本州はこの動物の研究史のかなり重要な舞台になっているようです。
今回の話の中心はもちろん瑞浪釜戸標本で、2022年に発見されたこの個体は骨が120点確認され、全体の約60%が残っている保存状態の良い標本だそうです。しかも頭骨を伴う骨格としては世界で7例目とのこと。
保存状態の良い標本が出てくると何が分かるのかというと、骨格の形だけではなく、タフォノミーが推定できる点です。
釜戸標本は、まず死体が海を漂流し、その途中で前肢が失われ、海底に沈んで底についた際に首が曲がり、左半身が砂に埋まり、その後サメなどに肉をいかれて骨が散らばり、最後に肋骨が完全に埋没したという順序が考えられているそうです。正直なところ、こういうタフォノミーの話は個人的にマニアックに感じてとっつきづらいですね。この個体に限らず。
さらに釜戸標本の周囲からはカシパン類 Scutelloida の化石が見つかっており、この場所は海成堆積物、しかも河口付近ではなく外洋と強く関係する環境だった可能性が高いと説明されていました。
ここまで聞くと、パレオパラドキシアという動物は長いあいだ「奇妙な生き物」という印象だけが先行していたものの、少なくとも釜戸標本に関しては生息環境や死後の状況については、かなり具体的なところまで分かってきているのだと感じました。
ただ話を聞きながらいくつか疑問も浮かびました。
一つは瑞浪標本の首が背中側に反り返る姿勢で保存されている点で、これはいわゆるデス・ポーズとして説明されていたと記憶しているんですが、哺乳類も死後硬直でそのような姿勢になるものなのか、神経系の損傷によるアクシデンタルな姿勢なのか、それとも海底での分解や沈降の過程でそんな形になるのかという疑問です。
もう一つは分布の問題で、北太平洋沿岸には広く分布しているのに、同時代の南太平洋沿岸などではほとんど知られていないのはなぜなのか、サメがいるから広い海に出て行けなかったのか、単に見つかっていないだけなのかという点。
そして三つ目は新潟などで見つかっているサイズの異なる個体の扱いで、これは成長段階の違いなのか、それとも別種が含まれている可能性があるのかという点です。
新しい発見や研究で、また解釈が変わるかもしれませんね。古生物の話というのは常にそういうものなのだろうと思いますが。
いつもながらの乱文ですみませんが、これでレポートに代えさせて頂こうと思います。
それじゃ👋
