CM カーネギー自然史博物館 #7 角竜の多様性

虹が七色と誰が決めた。ケラトプスユウタです。

1週間ぶりの記事です。

今回もカーネギー自然史博物館のレポートをしたいと思います。

SMF R 4970

ゼンケンベルク自然史博物館(ドイツ)の有名なプシッタコサウルス(Psittacosaurus)のレプリカ。体表の様子をよく保存している事において有名で、プシッタコサウルスの標本としては最も状態が良いものの一つと言われています。

この標本のオリジナルは中国遼寧省の宜賢層から出土したものである可能性が高いそうです。謙抑的に表現したのは、この標本が中国から違法に輸出された後にゼンケンベルクに寄贈されたもので、確かな記録がないからです。中国への返還を待っている間に記載されたものでこれまでの返還の試みは全て失敗に終わっているようです。

この標本はプシッタコサウルスが体表のほとんどを鱗で覆っていたことを教えてくれます。大きな鱗は規則性があるようには見えないパターンで配置され、その間を多数の小さな鱗が占めており、ケラトプス類で知られる皮膚痕と共通しています。こういう皮膚は実は恐竜では珍しいもので、角竜らしさの一つと言えます。

また、尾の背面(上面)には、中空の管状の毛のようなものが一列に並んで保存されている事で特に有名です。

プシッタコサウルスの生体復元模型。尾のブラシ状の毛が目を引きます。

獣脚類の羽毛と相同ではないと考えられていますが、だとすると恐竜類の複数の系統で別々に毛が獲得されたという事になるのでそれはそれで面白いと思います。

この標本の研究が発表されて以降、より派生的な角竜類であるケラトプス類(Ceratopsidae)の尾の背側にも毛を生やすのがトレンドになった事もありますが、系統的に離れすぎているので積極的にそのように復元すべきとは個人的には思いませんね。

プロトケラトプス・アンドレウシ(Protoceratops andrewsi)

1925年にアメリカ自然史博物館がモンゴルに遠征した際に発掘し、1945年に交換でカーネギーが入手したものだそうです。事情は知らないですが、1945年という時代的にティラノサウルスのホロタイプ同様、疎開のための交換だったのかなと思います。だとしたら交換でニューヨークに行った標本がかわいそうですけど。

ケラトプス上科(Ceratopsoidea)の頭骨コレクション。

左からパキリノサウルス・ラクスタイ(Pachyrhinosaurus lakustai)、トロサウルス・ラトゥス(Torosaurus latus)(中央下段)、ズニケラトプス・クリストフェリ(Zuniceratops christopheri)(中央上段)、ディアブロケラトプス・エアトニ(Diabloceratops eatoni)。

4つという限られた枠の中で、系統樹の極の位置に近いと思われる物をノミネートする事によって、可能な限り満遍なくケラトプス上科を紹介しようとしている努力が感じられます。

ケラトプス類(Ceratopsidae)の2大系統、セントロサウルス類(Centrosaurinae)とカスモサウルス類(Chasmosaurinae)が分岐する直前の基盤的ケラトプス上科としてズニケラトプス、2大系統分岐直後の基盤的セントロサウルス類としてディアブロケラトプス、セントロサウルス類の最派生としてパキリノサウルス、カスモサウルス類の最派生としてトロサウルスが選ばれているわけです。

ややセントロサウルス類に偏った展示ではあるので、ここにもう1つ頭骨を加えられるとしたら、カスモサウルス類の基盤的位置に近いものの中で、復元頭骨が造られているアンキケラトプス(Anchiceratops)またはユタケラトプス(Utahceratops)を加える事ができれば、かなりバランスの良い献立になるように思います。

こうして見ると、ケラトプス類は基盤的には目の上の角が発達しており、セントロサウルス類も初期のものはその形質を保っていた事、そして進化と共にそれが目立たなくなって行った事がわかります。

上記のプロトケラトプスのような基盤的コロノサウリア(Coronosauria)とトリケラトプスだけを見ると目の上の角は派生的な形質のように感じられるかもしれません。確かにコロノサウリアの中ではそう言えますが、ケラトプス上科というグループとして見ると目の上の角は基盤的な形質であるわけですね。

白亜紀後期に突然この世に現れた角のある恐竜たち。彼らがどのようないきさつで多様化したのか、はたまたジュラ紀からずっと小型動物だった角竜類の中からなぜ恐竜時代も終盤に差し掛かってから急に巨大化したグループが現れたのか。疑問は尽きませんな。一緒に考えましょう。

それじゃ👋

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