パイプストーンクリーク 屍山血河

興味ない人に限って「ロマン」という一言で片付けようとするよね。ケラトプスユウタです。

パキリノサウルス・ラクスタイ Pachyrhinosaurus lakustai はすでにこのブログで何度か話題に出していますけども、カナダで、特にグランドプレイリーで恐竜を語る上では何かとフィーチャーされがちな動物ですのでそこはお互い腹をくくりましょうや。

今回は予告した通り、ラクスタイのボーンベッドを産出しているパイプストーンクリークの紹介記事です。

ちなみに上の看板の骨格図はカナデンシス P. canadensis になっちゃってますね。カナデンシスとラクスタイの違いについては過去記事をご覧になった方は記憶されているかもしれませんが、ブロガー風情が言ってることなのでちゃんと知りたい方は論文や専門書などのちゃんとした文献を読まれる事をオヌヌメします。

この看板の手前に車を停めて林道を歩いたのですが、目印もない道をまあまあの距離(片道30分くらい)歩くので、道が合ってるか不安になるのですが信じて進みましょう。

すると以下の看板がある格子状の扉が見えて来ます。

👆勝手に化石採るなという警告。

ここを通りましょう。

パイプストーンクリーク自体はアルバータ州中部を貫く河川です。

1974年、アル・ラクスタというアマチュア化石ハンターがこの場所で大規模なボーンベッドを発見しました。

👆この場所がボーンベッドのあった場所。今でもこの辺りで発掘が継続されておます。

ロイヤル・ティレル古生物学博物館によってボーンベッドの発掘が終えられたのは1989年代後半。100m^2の範囲内で14個体分の頭骨と3500点以上もの骨からなる膨大な量の標本が収集されました。

赤ん坊 baby、幼体 juvenile、亜成体 subadult 、成体 adult (baby と juvenile が同時に出てくると訳し方にいつも迷うよ🤓)までの4つの異なるライフステージのものが混在しており、この恐竜が群れで子供の世話をしていたことが示唆されています。

また彼らは洪水の時に渡河しようとして大量死した、というのが専門家の推理です。

それゆえにこの小川に「死の川」を意味する「River of death」という名前がついたのかどうかはよくわかりません。彼らの命を奪った川そのものではないのはもちろんですがね。

この場所での化石採集をライフワークとしていた故ロイ・ビッケル氏に献名された橋ですね。ビッケルブリッジ。

キャプション(?)にはパキリノの顔があしらわれてますが、彼は恐竜よりも貝化石に夢中になっていたようです。

記事の最後に、道中に見つけたアメリカチョウゲンボウ American kestrel

Falco sparverius

余談ですが、これを撮っている時、一車線の道の真ん中に車を停めてまして、撮り終わった後に車に戻ろうとしたらその真後ろにトラックが止まっていて、クラクションも鳴らさずに僕が撮り終わるのを待ってくれていたということがありました。非常識な日本人観光客と優しいカナダ人のエピソード🤓

それじゃ👋また明日。

***

参考文献

E. B. Koppelhus. 2008. Palynology of the Wapiti Formation in the northwestern part of Alberta with special emphasis on a new Pachyrhinosaur bonebed. International Dinosaur Symposium in Fukui 2008: Recent Progress of the Study on Asian Dinosaurs and Paleoenvironments. Fukui Prefectural Dinosaur Museum, Fukui 65-66.